ボカクリVol.1 感想その2 - 今後の展望

 ボカクリVol.1 感想その1 - 総評 - 煩悩の反応学の続き。

 総評の次は個別に突っ込んだことを書こうと思っていたのですが、だいたいのところは
  『ボカロクリティークvol.01』 - logical cypher scape2
に良いことが沢山書かれているのでそちらにデリゲートします。もちろん、私もそれぞれの稿に刺激を受けて色々と考えもあるのですが、あまりガチでそれをやると私なりの感想という枠組みを超えてしまうので、別の機会に自分の論と絡めて取り上げられれば。

 ここでは前回の総評に加えて、ボカクリに対する様々な反応を見て思ったことから、今後の展望もとい期待について語ってみようかと思います。なお、本エントリの草稿執筆中に上記id:sakstyle(以下sakstyle)の記事が公開されたため、その影響を受けざるをえません。そのあたりは素直に引用を交えつつ。

今後の展望

 本誌は創刊号としての役割に徹しており、ボカロ批評界の今後を見据えた上での「コンセプト批評誌」となっているといえる。その意味での完成度は高いものの、ゆえに、全ては今後次第であったりする。

創刊号としての役割

 創刊は成った。総評でも触れたように、本誌では「創刊号」としてのコンセプトが編集に色濃く表れている。ボカロ批評の入り口となるべく、記事の流れは勿論、執筆者集めからレイアウトにまで努力が見られる。それは充分伝わってきた。巷の創刊号がどのような役割を目指すか良く知らないが、ボカクリはこの「入り口」という役割に拘る必要があったと思われる。
 そもそもボーマスで批評誌を出すということ自体、勇気のいることではなかっただろうか。本誌の前身であるVol.00*1は様々な批評誌ひしめき合う文学フリマ*2で販売されたため、テーマとしては新鮮ではあるものの、数ある批評の1つとして自然な立ち位置にあった。しかしボーマスは音楽が主体の同人イベントであり、批評という言葉に対して良くない印象を持つ人*3も多いと思われる。ボーマス参加との話を聞いたときは「おお、乗り込むのか!」という感想を抱いたことを憶えている。
 このような不安はあったものの、期待通りあるいは期待以上の反応があるのは見ての通りだ*4

必然的不足と必要な不足

 今回はボカロ批評の入り口という意図が重視され、書き手もその意図を組んだか、はたまた字数制限の影響か、各個テーマに対しての切り込み角が鈍角な印象を受ける。この類の指摘はいくつか見かけたが、例えばsakstyle氏はこう端的に表現した。

『ボカロクリティーク』なのにクリティークが始まっていない?!

『ボカロクリティークvol.01』 - logical cypher scape2

 どの論もテーマとしては非常に面白いものの、語り切れていない感があるということ。更に言えば「もっと強烈な主張をしているものがあってもいいのでは?」という思いは、確かにある。いくつかの論については意図的にサジェスチョンで留めていたりもする*5。これは前項で述べたような本誌を取り巻く状況から必然のものだろうと思う。しかし、取り扱う批評の多様性という観点から、数点くらいはもっと突っ込んだものがあってもいいだろうと考え方も出来る*6。掲載稿のうち半分は公募というから、創刊号というコンセプトに徹しすぎたことによる影響がリモートに作用したとも言えるだろうか?*7

 ただし、強烈な主張やガチでディープな論文をなるべく避けるという方針は、入り口としての役割を重視するならアリだ。結果としてそのようなまとまり方となった本誌は、これから広い層が手に取ることが期待される*8
 突っ込んだ内容の不足というのも「無いなら俺が書いてやる!」という書き手が表れることを期待できるという意味で、必要な不足とも言える。だって初めてのボカロ批評専門誌なのだから。

波及効果

 本誌は多くの示唆と多くの不足を含んだものとなっている。ボカロ批評の入り口的役割を追求した結果だろうが、目的は波及効果であり、今後ライトなものからヘヴィなものまで色んな批評が現れることを期待してのことだと思う。
 ここで恐ろしいのは、読み手に「そういう方向性の誌なのだ」という固定観念を持たれることだろう。誌の方向性だけならまだしも「ボカロ界隈の批評はこういう方向性しか受け入れられない」との判断が為されてはたまらない。そのような判断は早計に過ぎるとも思うが、万が一でもあれば、「ボカロ批評」としても「批評」という観点からしても、まったく本意ではない影響である。

今後の方向性

 ボカロ批評が広く盛り上がることが創刊号としての主たる狙いだとすれば、その影響がはっきり見えてくるのはいつだろうか。ボカクリ第2号への寄稿として現れるかもしれないし、その頃には別のボカロ批評誌が誕生しているかもしれない。いずれにせよ、ボカクリとしても次の号が非常に重要だということは確かだ。私は、これまで述べたような不足感、よりディープな議論や、今回触れられなかったテーマなどを回収するような方向性を期待している。

 最後に編集長の中村屋与太郎氏の思いをザ・インタビューズから引用してまとめたいと思う。

次回以降の人選の方向性はまだ決めかねているのですが、公募もまた行う予定です。
興味がございましたら、是非応募して下さい。

「言いたい事があるなら、ボカロクリティークに書きなよ!」と言って頂けるような、
公序良俗に反しない範囲で)自由な意見表明の場になれば良いな、と思っております。

http://theinterviews.jp/nakamuraya/437323

 批評誌であるがゆえにどちらかというとやや「濃い」場になっていきそうな予感はある(期待もしている)が、それも今後の匙加減次第だろう。
 批評に携わる人達から「もっと気軽に、自由に語り合おうよ!」との話をよく聞く。それは批評に関する負の先入観を取っ払いたいという主旨もあるだろうが、根本的な欲求でもある。ボカロ文化について、Webでは昔から様々な意見交換も見られるが、本誌のような批評誌も含め、より活発になって欲しい。ボカクリがその原動力となったら素敵だ。

*1:http://critique.fumikarecords.com/ にて少しずつ内容の公開が始まっている。

*2:文学系の同人誌即売会。批評とか文芸創作がたくさん。

*3:ついこの間まで私もそうだった。大抵が誤解に基づく印象ではあるのだが。

*4:ボカロクリティーク関連のツイートをまとめてみました - Togetterなど参照

*5:書き手の背景や執筆経緯による制約も。まぁこれはいつだってあるか。

*6:個人的に本誌の中で割と鋭く切り込んでいたと感じたのは、アンメルツPの07、isshy氏09、東葉ねむ氏の11、島袋八起氏の12だ。八起氏のものは小論も含めて。isshy氏の稿は「大分削った」との話を聞いたので、元々はもっと色濃かったものと思われる(削り方の方向性で大分変わった?)

*7:変な表現になってしまったが、書き手が無意識に空気を読んだことによる効果や、編集の意向がダイレクトに響いたという効果まで含む

*8:2011年9月10日現在、委託販売も始まっている VOCALO CRITIQUE Vol.01 - とらのあな