ボカクリVol.1 感想その1 - 総評

 2011年9月4日に発売された同人ボカロ批評集、VOCALO CRITIQUE Vol.01の感想を書きます。総評というと如何にも大袈裟で偉そうな言い回しですが、「全体的な感想」程度の意味で使っています。
 本エントリーは紹介文ではなく感想文であり、内容に深く言及する可能性がありますので、未読の方はご注意ください。

総評

 ついに出たボカロ専門批評集、ということで、油断するとべた褒めに陥ってしまいそうなのを注意する。また私は非読書家であり、批評誌の類も数えるほどしか読んだことがないので、批評の批評を明言して行う自信もない。ただただ素直に冷静に感想を書きたい。

 ここで評価しておきたいのは、全体の流れとまとまりについてである。

 流れとはつまり、掲載された論の順序によって形成される大まかな文脈のことだ。これは音楽アルバムの曲順のようなもので、全体の印象を左右するものだと思っている。私が本誌を振り返ってまず抱いたのは「流れが良いな」という感想だった。
 まず、編集長による序文で本誌の立ち位置と性格が明解となる。その上で「01. VOCALOIDが向かうところとは」で、VOCALOIDの持つ表現の可能性と展望について基本事項がおさらいされ、「02. 歌声合成文化とUTAU」で、市販ボカロ文化と並行して存在するUTAUの潮流が紹介される。
 ボカロ批評誌の創刊号としてこれ以上無いくらい見事な立ち上げ方だと思った。今後、ボカロ文化に関する議論を行う上で必ずやっておかなければならないこと、すなわち「前提の確認」*1を、序文と2つの批評を通して自然と片付けた。大げさではあるが、これで我々はある程度安心してボカロについて語り合うことが出来る。

 私は上記を含めた00〜04までを本誌の前半パートだと捉えている。議論の流れ的にもそうだし、05が対談形式となってうまい具合にインターバル的役割を果たしている*2ことから、形式的にもそうなる。この前半パートでは、それぞれ全く別の視点から「ボカロ文化とどう付き合っていこうか?」というテーマを提示している。賽は投げられ、後半パートに引き継がれる。
 後半パートでは、ボカロという文化・現象の考察や、担い手達の向き合い方についてより具体的な議論が展開されている。実は、それぞれ別々に書かれている稿のはずなのだが、前半パートで突きつけられたテーマに対応した考察があったりもする。合同批評誌の妙とも言えるだろうか。このあたり突っ込んだ話は別の機会に書ければ書きたい*3
 そして最終パート、「12. 好きよ留学生」「13. 10と1/2章で書かれたボカロの偽史」という2つの創作*4で本誌は締めくくられる。これらの作品は非常に個性的で自由な作風を感じるものだ。これまでのパートで「ボカロについて自由に語る場」を体現した本誌だが、その自由さを象徴した締めくくりになっているなと思った。

 さて、本誌では様々な語り口でボカロ文化が議論されており、その方向性にまとまりは無い。批評集なので当然のことだ。しかし、これまで確認したように、各稿はうまく流れに沿って編集され「パッケージング」されている。今まで私は本の編集のことなどほとんど考えたことが無かったが、このように1冊の本というのは完成されうるのだなと感銘をうけた。
 つまり、編集長の中村屋与太郎氏はいい仕事をしたなぁ、という話にまとめられる。

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 以上になります。
 創刊号、お見事でした。しかしまだまだ語られるべき課題*5は沢山あります。それこそ無数にあるでしょう。それを語れる書き手さんが現れることを期待し…、あと自分もそろそろ何か語れるようになっておくべきだろうなあと思う次第です。語り合いの輪の中で生きたい。


 リンク:VOCALO CRITIQUE 公式サイト

*1:出題文を理解するための前提知識ともいえるだろうか

*2:ボカロ文化の世界的広がりという内容を含む点で04の内容を受ける役割も果たしている

*3:「感想その1」と銘打っているように、個別の感想は今後書く予定。けど全部書いたらえらい量だよね?どうしよう?(汗

*4:少なくとも形式上は創作作品である

*5:例えば、当然といえば当然だが、議論が音楽関連の話に偏ってしまっている